創設の趣意

創設の趣意

一般に武芸十八般と言われる通り、真の武道家は徒手空拳法から、あらゆる武器術に精通する必要がある。

田浦無想流古武道棟梁、井之久保端兆は家伝の刀術(小太刀)、槍(袖絡み=いら棒)、小手手裏剣/脛手裏剣、立鎌術、柔術(捕縛術、捕手小具足)、その他、自衛隊で習得した拳銃操作とこれに対する対処の仕方、危機管理意識の向上及び教外伝として釵術、十手術また各流各派空手道の研究成果の活用の必要性から、平成元年に日本総合武術研究会の準備に掛かり、平成5年に札幌市真駒内にその本部を開設し発足させた。

尚、高度な武術にはより高度な精神性が必要であり、武士道精神=日本精神が正しく理解され、武道発展に寄与出来れば幸いであると考えている。

由来

古武道の創始者は井上掃部助(かもんのすけ)と言われており、井上家より井久保姓が分流し、現在29代目を迎える。

杖道の創始者は井上八郎右衛門と言われ、初めは無想流を名乗っていたが、第29代目(杖道16代目)棟梁井久保要(号を井之久保瑞兆と称す)が、瀕死の状態にあった家伝の武術を集大成し、出身地の田浦の名称を冠し、『田浦無想流古武道』 と命名し、 一子相伝・門外不出の武技を公開し、世に送りだした。

家伝の略歴

源頼朝が1185年(元歴2年)に平家を滅ぼし、征夷大将軍に任じられ1192年に鎌倉幕府を開府…。
これに従い、頼朝の庶子と言われる惟宗忠久を九州島津庄の地頭に任じた。これが初代島津忠久である。

この時、井上氏族は下級武士として随行し、当初、現在の日置市に生活の基盤を置いた。その後の過程に於いて井上家から井久保家が分流し、明治の初期、井久保次郎左衛門のときに現在の志布志に移住している。

本家が男子継承者に恵まれず、井久保家から養子を迎え本家武術を継承したが、23代目(杖道10代目)井上新兵衛にて本家が絶えた為、井久保氏が武術を継承し、井久保氏の隆盛に伴い、集落名も井久保集落と呼ばれるようになったが、28代目棟梁井久保乙次郎は井之久保集落の呼び名を残そうと考え、事後、代々の棟梁の號(ごう) を井之久保端兆と称する事となる。

島津藩士として藩境の警備に当たった井久保家にとって、その任務遂行の可否は死活問題であり、乱破的な戦術・戦法を含め、刀・槍は勿論、手軽に武器化する事の出来る竹や樫の棒(農民が使用する鎌等)の活用…竹を利用した弩器(どき)を作成…使用する等、総合的な武術の修練に励み、代々継承してきた。

一門を指揮する棟梁の状況判断が一門の死活問題となる事は言う迄もなく、それが為に、一子相伝による 家伝、 門外不出の秘伝として、 現在まで生き残って来たのである。

即ち武芸十八般にわたる総的な武術を現代に継承しているのは、日本でも数少ない流派と言えよう。

概要

会社名日本総合武術研究会
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